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仙台地方裁判所 昭和42年(ワ)333号 判決 1969年4月14日

原告 壱岐善郎

右訴訟代理人弁護士 日野市朗

被告 野田敏子

右訴訟代理人弁護士 田畑政男

右同 田中美智男

被告 キンケイ食品工業株式会社

右代表者代表取締役 佐藤興次

右訴訟代理人弁護士 島田正純

主文

被告キンケイ食品工業株式会社は原告に対し金一五五万三、九九七円およびこれに対する昭和四二年五月二一日より完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告の被告野田敏子に対する請求を棄却する。

訴訟費用中、原告と被告野田敏子との間で生じた費用は原告の負担とし、その余は被告キンケイ食品工業株式会社の負担とする。

この判決は原告勝訴の部分に限り、原告が金二〇万〇、〇〇〇円の担保をたてたときは、仮に執行することができる。

事実

(申立および主張)

原告訴訟代理人は、「被告等は原告に対し各自金一五五万三、九九七円およびこれに対する昭和四二年五月二一日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告等の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、

請求原因として次のとおり述べた。

一、(事故の発生)

訴外新藤孝一(以下「新藤」という。)は、昭和四〇年九月二〇日午前五時ごろ、普通貨物自動車(埼四は五二一六号)(以下「本件自動車」という。)を運転して、仙台市中田町一二五番地先国道四号線道路を仙台方面に向って進行中、同道路右側を同方向に向って歩行中の原告の背部に本件自動車を衝突させ、よって同人に対して、右腎臓および肝臓破裂、全身打撲創の傷害を負わせた。

二、(被告野田敏子の責任)

被告野田敏子(以下「被告敏子」という。)は、本件事故当時訴外新藤の使用者であり、本件自動車を所有し、貨物運送業を営んでいるものであるところ、本件事故は新藤が被告敏子の貨物運送業務に従事中発生させたものであり、被告敏子は本件自動車を自己のため運行の用に供したものとして、自動車損害賠償保障法三条により原告に対し後記損害を賠償する責任がある。

三、(被告キンケイ食品工業株式会社の責任)

(一)  被告キンケイ食品工業株式会社(以下「被告会社」という。)は、本件自動車をして専ら自社製品のみを運送せしめていたものであり、訴外新藤は休日以外は毎日本件自動車を運転して被告会社所沢工場に赴き、製品運送の業務のみならず、ゴミの運搬等雑用にも従事しており、被告会社製品以外のものを運搬したことはなかった。

(二)  右新藤は製品運送のため被告会社に赴いた際、被告会社製品課主任として、専ら製品配送係を担当していた訴外野田福蔵(被告敏子の夫、以下福蔵という)の詳細は指示命令により、運送業務等に従事していた。すなわち、新藤は被告会社の指揮監督下にあった。

(三)  本件自動車の車体には、被告会社を徴表する「meiji、kinkeiミルクカレー」の製品マークが表示されており、右マークは被告会社が記載せしめたものであり、仮りにそうでないとしてもその記載を承認していたものである。

(四)  本件事故は新藤が被告会社製品の運送業務に従事中発生したものである。

以上よりすれば被告会社は本件自動車を企業の一部として包摂し利用、支配していたものであるから、本件自動車の運行につき、自己のため運行の用に供したものとして、本件事故につき、自動車損害賠償保障法三条の責任がある。

≪以下事実省略≫

理由

一、(事故の発生)

原告主張の日時場所において、新藤運転の本件自動車が原告に衝突し、原告が負傷した請求原因第一項の事実は、原告と被告敏子との間では当事者間に争いがなく、被告会社との関係では≪証拠省略≫により、右事実を認定することができ、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

二、(被告敏子の責任)

原告は被告敏子が本件自動車を所有し、訴外新藤を使用して、貨物運送業を営んでいた旨主張するのでこの点につき考察するに、≪証拠省略≫によれば本件自動車を購入するに際しての買主名義、自動車損害賠償責任保険の被保険者名義、本件自動車の修理にあたり、その注文者の名義および本件事故による被害者との示談契約の締結者名義がいずれも被告敏子となっていることが認められ、これらの事実によれば一応原告の主張事実を認定することができるようであるけれども、≪証拠省略≫によれば新藤が本件自動車を使用して、運送業務に従事するようになった契機は同じ運送仲間である訴外大曽根某により被告敏子の夫訴外福蔵に紹介されたことによるものであること、本件事故約一年前から、本件自動車をもって運送業務に従事していた新藤は原告の主張を借りれば使用者であるはずの被告敏子とは現在まで一面識もなく、専ら福蔵の指示に従って勤務しており、また給料も福蔵自身から手渡たされていたこと、さらに本件事故後警察での取調べの際新藤が勤務先を被告会社と供述しているがそこでの被告会社とは、右会社の従業員であり、運送業務の仕事の指示を受けている福蔵を指し、即ち勤務先福蔵の意味で述べたことが認められ、これらの事実よりすれば被告敏子は単に名義上の所有者に過ぎず新藤運転手も被告敏子に雇われていたものと認めることはできない。ちなみにこの点につき被告敏子は本件自動車の実質的所有者は訴外小島であり、右小島が新藤を使用し、運送業を営んでいた旨主張し右主張に副う証拠として≪証拠省略≫があり、また証人野田福蔵は小島が運送業を開始すべく、本件自動車を購入するに際し、印鑑登録もしておらず、経済的信用も薄いところから小島の懇願により、被告敏子の名義を無償で貸与した。従って本件自動車の購入代金は、被告敏子名義で実質小島が支払っており、また新藤の給与も小島が支出していた旨証言するが、他面右証人野田福蔵自身が証言する如く、小島とは知合って、一週間程度の間柄にもかかわらず福蔵は右小島に対し、被告敏子名義をいとも簡単に、しかも無償で貸与している点、若し小島が自動車代金の支払いを遅滞したときは被告敏子が支払いの責任を負わなければならなくなるのに、それに対する小島との間の取決めは全然なされておらず右貸与の事実を名義人たる被告敏子には一切知らせていない点、仮りに小島が本件自動車の保有者であるならば本件事故の責任を負うべきは小島であり、小島により迷惑を蒙っているはずの福蔵らが、小島と関係を生じた当初から小島の住所を詳かに了知しておらず、現在はその生存の有無さえも了知していない点、更に右証人が新藤の給与は小島が病気であることから小島の妻が持って来たり福蔵自身が見舞に行った際預かってきたこともあるが、毎月必らず右給与を預っていたわけではない旨証言するのに対し、前掲証人新藤は小島なる人物は見たことも聞いたこともなく、また未だかつて給与は小島自身から手渡たされたことがないと証言している点および≪証拠省略≫によれば小島の住所は昭和四〇年六月現在所沢市緑町一〇三の三であり、同年七月には同市同町三の四とあり福蔵と全く同一の住所となっているにも拘らず、証人野田福蔵の証言によれば小島の住所は昭和三九年七月頃から最近まで東京都北多摩郡清瀬町であったと述べておる点、また被告会社に対する運賃請求書の小島の名前がある時は小島誠二ある時は小島精二と異なっている点、以上の各点を併せ考えれば被告敏子の主張に副う前掲各証拠はにわかに措信しえず、むしろ当裁判所は以上を総合勘案して訴外福蔵は被告会社の製品配送一切を担当する主任であること(この事実は証人野田福蔵の証言により認める)を奇貨として、右製品運送により利を図ろうとして、昭和三九年六月頃、妻である被告敏子名義で本件自動車を購入し、その頃訴外大曽根の紹介で新藤を運転手として雇い入れ、被告会社を始め周囲の関係者に対しては福蔵と住所を近くする小島誠二(小島運送店)なる架空の人物を作り上げ、いかにも同人が運送業者として被告会社に出入りするものの如く名義を届け出で、右新藤をして、専ら被告会社製品の運送に従事させ、その運送代金は小島の名義で被告会社に請求し、被告会社をして埼玉銀行所沢支店の小島名義の口座を通じて振込ませていたという事実を推認することができ他に右認定に反する証拠はない。

してみると本件自動車の実質的保有者は福蔵であり、被告敏子は単なる傀儡にすぎないから、本件事故につき責任を負ういわれなく、この点に関する原告の主張は理由がなく失当である。

三、(被告会社の責任)

被告会社の製品配送主任である福蔵が自己の地位を利用し、本件自動車を所有し、訴外新蔵の使用者として被告会社製品を運送し利を図っていたこと前記認定のとおりであるが、前掲証人新藤の証言によれば新藤は本件自動車をもって運送業務に従事するようになった本件事故約一年前から、休日以外は毎日被告会社所沢工場に赴き、倉庫の一角にある詰所に行き、福蔵の配送先等詳細な指示により会社名の伝票をもらい、製品の運送に従事するのみならず(なお、新藤を含む二、三人の運送従事者を除き殆んどの運送業者は被告会社内部に立入ることを禁じられ受付窓口を通じて、会社の伝票をもらっており、従って新藤らは特別の扱いを受けていた。)製品運送のないときは被告会社のゴミの運搬等雑用にも本件自動車をもって従事しており、かつ、被告会社製品以外は本件自動車をもって運送したことはなく、本件事故も新藤が被告会社製品運送中に惹起したものである事実が認定でき、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

また、本件自動車の車体に「meiji、kinkeiミルクカレー」なる文字が表示されていたことは当事者間に争いがないものの被告会社がこれを記載せしめ、ないし記載を承認していたとの事実を認めるに足りる証拠はない、しかしながら前掲の如く、本件自動車を所有し被告会社の内部にかくれて運送業を営んでいたのは被告会社配送係主任福蔵であるから、右文字の表示も福蔵自身がしたものと推認できる。

以上の事実関係よりすれば仮に被告会社執行部が福蔵、新藤間の関係を知らず、小島誠二をして製品運送に当たらせていたと認識、誤解していたとしても、実質的には新藤は被告会社の製品配送主任の地位にある福蔵の具体的指揮監督下並びに専従的支配下にあって専属的に被告会社の製品を運送し、これにより福蔵は固より、同人の計算を通じ被告会社も利益を享受して来たということができる。すなわち、被告会社は現実的に本件自動車を企業の一部に包摂し、利用支配していたといえるのであるから、かかる場合、被告会社は自社製品の運送業務中に発生した本件事故につき、本件自動車の運行供用者として、自動車損害賠償保障法三条の責任を負うと解するのが相当である。

四、損害

(一)  医療関係費

1、治療費

≪証拠省略≫によると、原告が本件事故による負傷の治療のため、東北大学附属病院に入通院し、治療費として合計金四万五、三四〇円を要したことが認められる。

2、附添費

≪証拠省略≫によれば、原告は前記東北大学附属病院に入院していた昭和四〇年九月二〇日から同年一〇月三一日までの間に、渡辺ちよほか四名の者を附添看護人として雇い、延一一四日の附添看護を受け一日につき金五〇〇円の割合で合計金五万七、〇〇〇円を支払ったこと、そして前記認定の本件事故により原告が蒙った傷害の程度を考えると、右附添が必要已むを得なかったものであることが認められる。

3、血液提供者への謝礼金

≪証拠省略≫によれば、原告は本件事故による負傷の治療に必要なため、中鉢伊久夫ほか二四名の者から血液の提供を受け、一名につき金一、〇〇〇円宛合計二万五、〇〇〇円の謝礼をなしたことが認められるところ、右支出は原告の前記傷害の治療のため必要已むを得なかったものと認められる。

4、氷代

≪証拠省略≫によれば、原告は前記負傷の治療のための必要から昭和四〇年九月二六日から同年一〇月四日までの間に氷代として合計金三、〇一〇円を支出した事実が認められる。

5、輸送費

≪証拠省略≫によれば、原告は前記附添看護人および血液提供者を前記病院に送迎するに際し、気仙邦男ほか三名の者にその輸送を委ね、その費用として合計金三万円を支出した事実が認められる。

したがって原告の支出した医療関係費は、右1ないし5の合計金一六万〇、三五〇円となり、原告は右相当の損害を蒙ったものということができる。

(二)  得べかりし利益

1、≪証拠省略≫を総合すると、次の事実を認めることができる。

原告の父壱岐善蔵は田畑各約八反を所有しているが、持病のぜん息のため本件事故前より、原告に農業経営をまかせ、原告が中心となり、自ら農作業に従事していたところ、本件事故により、事故以降二年間は全く、農作業等の力仕事に従事することが出来なくなり、そのため余分の手伝人を雇って農作業を行わざるを得なくなった。そして原告が右手伝人に対して支払った日当は、一年間につき合計金九万四、八〇〇円であり、その内訳は次のとおりである。すなわち、稲刈には例年一週間を要し、毎日三名延べ二一人を雇っていたところ、例年より延べ八名余分に雇い日当として一人当り金一、〇〇〇円の割合による合計金八、〇〇〇円を、稲上げには例年二日を要し、五名の手伝人を雇っていたところ、例年より、延べ五名余分に雇い日当として一人当り金一、〇〇〇円の割合による合計金五、〇〇〇円を、脱穀調整には例年四日を要し、三名の手伝人を雇っていたところ、例年より延べ六名余分に雇い、日当として一人当り金一、〇〇〇円の割合による合計金六、〇〇〇円を、苗代作り、荒起しおよび代掻は、例年原告のみが当っていたところ、一名の手伝人を雇い、日当合計金二万二、六〇〇円を、田植には例年三日を要し三名の手伝人を雇っていたところ、例年より延べ一名余分に雇い日当として、金一、〇〇〇円を、田の一番除草には例年原告のみが当っていたところ、一名の手伝人を雇い日当として金八〇〇円を、畑作用には例年原告のみが当っていたところ、本件事故後昭和四〇年九月以降同四一年五月にかけて手伝人を雇い、日当として合計金五万一、四〇〇円をそれぞれ支払ったものであることが認められる。

してみれば、原告が全く稼働不能な年は例年なら雇わずにすんだ右余分な手伝人に対して支払った日当分が、経費として多くかかることになり、原告のその年の純益はその支出額だけ減少するのであるから、本件事故により全く農作業が不可能となった。事故以降二年間の原告の得べかりし利益の喪失による損害は、右支出額の二年分にあたる合計金一八万九、六〇〇円であることが認められる。

2  ≪証拠省略≫によれば原告は本件事故により右腎臓および肝臓右半分が破裂したためその部分の摘出手術を受け、背部は広範囲にじゅくそうケロイド状隆起を残していることの事実が認定できるところ、右傷害の程度は労働基準法施行規則別表第二によれば第七級第五号に相当し、その労働能力喪失率は、労働基準監督局長通牒(昭和三二年七月二日基発第五五五一号)によれば一〇〇分の五六である。従って原告は本件事故発生三年目以降も前記認定の全く稼働し得なかった年に蒙る損害金九万四、八〇〇円の一〇〇分の五六にあたる金五万三、〇八八円の得べかりし利益を喪うところ、≪証拠省略≫によれば本件事故当時、原告は昭和九年七月一日生れ満三〇才の健康な男子であったことが認められ、第一一回生命表(昭和三一年七月厚生省発表)によると満三〇才の男子の平均余命は四一、四九才であるから、原告は本件事故後なお少なくとも三〇年間は農作業労働に従事し稼働し得えたものと推認することができ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

従って、本件事故後三年目以降二八年間における得べかりし利益喪失による原告の損害をホフマン式計算法によって年五分の割合による中間利息を年毎に控除して得た右期間当初の現価は金九一万四、二三六円(五万三、〇八八円×一七・二二一一五〇三六)(円以下切捨)となる。とすると原告の主張額金六三万四、〇四七円は、明らかにその限度内であるからその主張は理由があり認容すべきである。

(三)  慰藉料

前記認定のとおり、原告は本件事故による傷害のため、内臓器の摘出手術を受け、背部には広範囲にじゅくそう部ケロイド状隆起の痕跡を残し、≪証拠省略≫によれば事故後約一〇日間は全く意識不明の危篤状態が続き、その後も半月位いは意識が不鮮明であった、従って、入院生活も二ヶ月余の長期にわたることを余儀なくされ、退院後も後遺症として全身倦怠感および時折腹部膨張感があり精神的には、性格も短気になり物事をくどく考え、かつ物忘れがひどく、計算能力等頭脳労働の能率が低下し、人前に出ることを嫌うようになるなど、多大の影響をうけたとの事実が認められ、他に右認定に反する証拠はない。

してみれば、右認定の事情よりみると、その慰藉料額は金一〇〇万円が相当である。

五、よって以上を合計すると、原告が本件事故により蒙った損害額は金一九八万三、九九七円となるところ、原告が、自動車損害賠償保障法に基づき本件負傷の後遺症に対する保険金として、金四三万〇、〇〇〇円を受領したことは当事者間に争いがないから、これを右金額より差引くと、被告会社に請求し得る損害金は金一五五万三、九九七円となるので、被告会社に対し右金員およびこれに対する損害発生日以後であること明らかな昭和四二年五月二一日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅建損害金の支払いを求める原告の本訴請求は理由があるから認容し、被告敏子に対する請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、仮執行の宣言について、同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 三浦克己 裁判官 藤枝忠了 板垣範之)

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